キレイゴトとホンネと

君のために生きようか 惚れたもんだから仕方ない

~アイドルに本気で恋をしていたキモヲタが、紆余曲折を経て初めて本人のコンサートに行った話~

ビリギャル風のタイトルでお送りしていますが、BGMはもう恋なんてしない/槇原敬之さんでよろしくお願いします。



1人関西から夜行バスを駆使して、東京に乗り込んだ2015年12月17日の夜。24時間後には関ジャニ∞の元気が出るLIVEでコンサートバージンを捨て終わっているのだと考えながら目を瞑ると、やっと大好きな大倉くんに会えるトキメキと緊張で涙が出てきた。(知恵熱も出ていた)


コンサートに行こうと決意するまでの道のりがこちら


初日(東京公演2日目)、初めて東京ドームのゲートをくぐった私は、座席に着く前から身体の震えが止まらなかった。「無理、あかん、やばい、やばいかもしれん、無理、なんかだって、」と早口でうわ言を繰り返す私に優しく声をかけてくれていたお友達には心から感謝している。
座席はいわゆる天井席だったため、全体を見渡すことができた。東京ドームは私が想像していたよりだいぶ小さかった。
しかし、東京ドームにいる人は、私が想像していた何十倍も多かった。これだけの人が彼らを好きで、単純計算でもこの七分の一の人は大倉くんのことが好きなのだと思うと自然と涙が出てきた。始まる前から、生きている世界が違うと思わされた。

そしてほどなくして、コンサートが始まった。


正直、大倉くんが出てきてから一旦捌けて倉子が出てくるまでの間、泣くか呆然とするかのどちらかでほとんどなにも覚えていない。どういう感情を抱えて泣いていたのかも思い出せない。それくらいの衝撃を受けて、ただただ1秒も無駄にしてはいけないと双眼鏡で大倉くんを追っていた。

そして倉子が出てきたときに、急にすごく冷静になったのだ。同時にすごく安心した。今は大倉くんがいないから、そこまで気張って見んでもよくて気楽やわあ~と緊張が解れたのが分かった。どうやら大倉くんと倉子は全く分けて考えられる脳をしていたみたいである。命拾いをした気分だった。
ユニットでも存分に「コンサート」を楽しみ、そうそうこうあるべきやんコンサートって!と思ってからはなにかが吹っ切れたように涙は出なくなった。それでも必死に双眼鏡で大倉くんだけを追いかけ、彼の恐ろしいほどのかっこよさを堪能して、コンサートが終わり初めに思ったのは、

「付き合いたい、なんて軽い気持ちで言ってたことを反省する、これからは誠意を持って結婚したいって言おう」
ということだった(悪化してる)

かっこよすぎて、好きだと思うポイントが多すぎて、まず浮かんだのがこれだったことから分かるように、私はものすごく浮かれていた。超絶ハイテンションだった。
顔を見られることを恐れていたけど、天井でそんな心配はなかったし、なのに双眼鏡のおかげで大倉くんの姿はしっかりハッキリと追うことができたし、5万人でライブDVDを見ているような気分で楽しかったのだ。全曲大倉くんのマルチアングルDVDとか楽しすぎかよ!!眩しすぎて目潰れるわ!!


そしてこのハイテンションは、なんと1日と持たずに消え去るのである。


2日目(東京公演3日目)は、初日の天井とは打って変わって、ものすごく近い席だった。(スタンド下段)

「ファンサがほしい」「近ければ近いほどいい」
という感覚は、とりあえず対大倉くんで考えると私には多分一生理解のできないものだと思っているので、アリーナじゃなくたって、肉眼で表情が見えることがある距離がまず恐怖だった。


初日と同じように、倉子とユニット(初めの2曲)の時以外は全て大倉くんしか見えなかった。いつ、どの瞬間も、どこに立っていたって、なにをしていたって、大倉くんは美しく男らしく力強く儚く可愛らしくかっこよかった。

踊っている大倉くんを見ながら、ドラムを叩いている大倉くんを見ながら、楽しそうにメンバーと話す大倉くんを見ながら、自分は本当にこの人に恋をしていると思った。そして、この人は絶対に私と付き合うことはないということも感じたのだ。初めから分かりきっていたことなのに、それでも私は大倉くんから目を離すことができずに、どんどんどんどん好きが増加し、同じだけ叶うわけがないと悟った2時間半だった。


「コンサート中、もしかしてやけど私大倉くんと結婚したんちゃうかな?」なんて、冗談を言う余裕があった昨日の自分がうらやましかった。これ以上、1人の男の人として彼のことを好きになったって、つらい思いをするだけなのが目に見えていた。

片想いをしている相手とデートを重ねるうちに、脈ないな~頑張っても付き合えへんやつやな~連絡取り続けたら自分の傷が深くなるだけやな~と自己防衛のためにも距離を置くことって、普通の恋愛じゃよく聞く話だと思う。まさにそんな気持ちだった。

これ以上好きになるべきじゃないって頭も心も叫んでいたし、その日の夜は「好きすぎてしんどい………………」と呆れるほどに泣いた。これからもコンサートに行くたびにこんな気持ちになって凹むなら、もう行くべきではないと思った。

そもそもアイドルを追いかけることは楽しい趣味であるべきなのに、どうして私はこうも勝手に重く、暗く、しんどくなっているのだろう。もういっそのこと担降りするべきではないのか?と本気で悩んだ。幸い(?)推しはたくさんいる。みんなかっこよくて可愛くて、すごく応援したくなる。コンサートだってきっと心から、元気コンでユニットを見ている時のように楽しめる。それでいいじゃないか。つらい思いをしてまで大倉くんを好きでい続ける必要性なんてないじゃないか。他の人を担当にしたら、そのうち大倉くんへの恋心も薄れていくかもしれない。元カレを引きずりながらも別の人と付き合う人だっていっぱいいるじゃないか。


「担当」ってなんなんだろう、という根本の話になるが、担降りした方のブログで「一番お金や時間をかけたいと思う人が担当」という基準をよく目にする。
しかし私はそもそも、お金や時間をかけたいと思って大倉担になったわけじゃない、好きな人が、ガチで恋をしているその相手が大倉くんだから大倉担になったのだった。
もし、お金をかけて応援したいと思う「推し」に担降りしても、「担当は○○くんやけど世界で一番好きなのは大倉くん」なんていう意味の分からない、○○くんにも○○くんの担当の方にも大倉くんにも大倉担にも、そして自分にも顔向けのできないことを口走ることになってしまうのが目に見えていた。
コンサートをこじらせて、大倉くんが好きすぎるせいでまさか自分が担降りについて悩む日がくるとは思っていなかったが、東京から帰り、落ち着いて改めて考えると、どう転んだって、今の私は大倉くんが世界で一番好きで、他の人を担当にすることはできないと思った。


しかし、「行ったら案外平気やったわ、今でも大倉くんは大好きやけど♡」なんて軽く終わると思っていたのにこのザマだったので、コンサート自体へは、大倉くんへの気持ちが変わらない間は行くのをやめておこうと思っている。
アイドルは楽しく追いかけるべきで、それぞれに適切な距離というものがあって、なによりコンサートはすべての時間を心から楽しめる人が行くべきだと思ったのだ。私は、コンサートに行くにはジャニヲタに向いていない重い気持ちを抱えすぎている。


もしかしたらそのうちコロッと担降りしているかもしれないし、ヲタ卒しているかもしれない。普通の大倉担としてコンサートをバリバリ楽しむようになるかもしれないし、ずっと大倉くんのいるコンサートには行けないまま時間だけが過ぎていくかもしれない。
人の気持ちにも未来にも絶対なんて有り得ないけど、それでも、明日も絶対大倉くんのことが好きだよって、自信を持って言いきれる今を楽しんで生きていきたいと思う。